CONVERSATION #1(Dr. Su Zar Zar)

20.07.06

スー・ザー・ザー・テイさんはミャンマー国立文化芸術大学ヤンゴン校で竪琴を教えています。ミャンマーの竪琴は、映画「ビルマの竪琴」にも登場しているように伝統音楽のための楽器です。スー・ザー・ザー・テイさんは東京芸術大学で博士課程を取得し、現在はミャンマー国立文化芸術大学で竪琴の講師を務めています。その傍ら、演奏家や音楽学校の運営など、持ち前の明るい性格で、マルチで意欲的な活動を続けています。そんなスーさんに、彼女自身のこれまでの音楽活動の経緯と、ミャンマーの音楽教育に向けた想いについて伺いました。

インタビュー: Su Zar Zar(竪琴奏者、ミャンマー国立文化芸術大学講師)
聞き手:居原田遥(東京芸術大学グローバルサポートセンター特任助手)

上:東京芸大楽理科植村研究室がミャンマーを訪れ伝統楽器を学ぶ様子。下:東京芸大音楽環境創造科亀川研究室、丸井研究室がミャンマー国立文化芸術大学で伝統楽器の音源を対象とした録音実習を行なった時の様子。この数年ミャンマーで行う交流事業には、スーさんの存在が欠かせない。

スーさんは東京芸大に留学していましたよね。改めてそのきっかけを教えてください。

元々、留学するならアジアの国に行きたいという思いがありました。その当時、文部科学省の留学奨学金の制度を知って、頑張って試験に参加しました。具体的なきっかけは、そういう制度があったからですね。また当時、知り合いに芸大に留学していた人がいて、話を聞いたことも理由の一つです。

博士課程ではどのような研究をしていたのでしょうか。

ミャンマー音楽の特徴の一つである演奏技法についての研究で、演奏技法のなかでも即興演奏についての研究でした。

日本でミャンマーの音楽を研究することはどのような経験でしたか。

留学していた当時もよく同じことを聞かれたました。なぜ日本でミャンマーの音楽を研究するのか、と言う質問ですね。もちろんミャンマーの音楽はミャンマーで研究した方がいいかもしれませんが、「どのように研究を行うのか」という研究の方法論を学びたかったのです。留学時は、当時の主査だった植村先生や副査の先生、同級生たちに助けられながら、自分の母国の文化を使って研究のやり方を学んだ期間だったと思います。私にとってミャンマーの音楽はとても馴染み深いものですが、その自分の中に流れているものを、自分の国の外でどのように伝えるのかということにはじまり、自分の研究のルーツはどこか、どのように記述するべきなのか、といった点まで音楽学において重要な視点を学ぶ時間だったと考えています。

竪琴を始めたきっかけはなんだったのでしょうか。

1988年には大規模な民主化なデモが起こって、国中の全ての学校は閉鎖されました。その期間はとても長くて、2年間くらいだったと思います。そのとき、私の姉がデモに参加していて、父はちょっと心配していました。デモには軍隊もいて、小さな戦争みたいなものだったので。不安に思ったお父さんが、姉に竪琴を習わせました。お姉さんが竪琴を習っていたのを横で見ていて、私も習い始めたのがきっかけです。当時はまだ9歳くらいでした。

はじめは誰に教わっていたのでしょうか。

U Yen Mauという方です。今でも元気に過ごしていらっしゃいます。当時の自宅がある通りの家に、バンド演奏を行なっている家があって、先生がそのおうちに来て、練習やリハーサルをしている際に、お父さんが頼みこんで、自宅で教えてもらうようになりました。

その後、どのような過程を踏まえて大学の先生になったのでしょうか。

1988年に竪琴を習いはじめたあとは、地元のコンクールに参加したり、テレビ局の番組で演奏したりしました。その後、1996年に高校を卒業し、1997年にミャンマー国立文化芸術大学に進学しました。そのまま2002年には教員になりました。日本に留学する前は、大学で英語を教えていましたよ。その後2008年に留学して博士課程を取得して、2015年にミャンマーに戻りました。

ミャンマー国立文化芸術大学での竪琴の授業風景。

現在は大学で何を教えているのでしょうか。

竪琴と美学(エステティック)です。竪琴はレッスン形式です。私の担当は2年生ですが、11人くらいの学生を受け持っています。民族音楽の楽器を専攻する学生は、他の楽器に比べると少ないと思います。ピアノやバイオリンは40人ほどいますから。

ミャンマーの伝統音楽の教育の現状について考えを聞かせてください。

率直に言って、充分ではないと思います。NUACとしては民族音楽に重きを置いた教育に取り組んでいますが、私個人からすると「足りない」と思っています。例えば、楽演奏技法以外の教育は十分ではありません。音楽史についても講義形式ばかりで、とりわけ学生の民族音楽に対する新しい関心を引き出すのは、なかなか難しいです。歴史的だとしても、「生の音楽」というか、楽器や音源に触れられる機会を作りたいです。

他の演奏家の音楽や昔の演奏の記録に触れる機会が少ないということでしょうか?

そう思います。ミャンマーの伝統音楽の性質上、一般的な音源や書籍の資料などのアーカイブは充分にありません。そのためそういう教育のための教材が作れない。そして少し失礼な言い方かもしれないけど、教員側やこれまでの演奏家たちに、その危機感がなかったのかもしれません。また、学生の興味や関心にもっと寄り添いながら、興味を引き出すためのやり方を工夫するとかですかね。私は伝統音楽と呼ばれている文化は、国のアイデンティティでもあるとも考えています。音楽を通じて、古くからある文化をどのように大切にし、守っていくのかを考えるべきだと思っています。学生たちにも、そのような心を持たせる教育が必要です。ただ楽器を弾けるだけの音楽家を教育することは違います。プレイヤーとミュージシャンは違うでしょう。

2019年には、東京芸大の楽理科と音楽環境創造科の派遣時に、スーさんのコーディネートで、ミャンマーの漫談音楽家の自宅に訪問した時の様子。ミャンマーの音楽では、歌の歌詞をのぞき、音律や展開などは口承で伝達されることが一般的であるため、楽譜はもちろんのこと、音源・映像をはじめとする記録資料は極めて少ない。

日本だと、邦楽が伝統音楽に当てはまるかと思うのですが、一般的に古典や伝統音楽は、あまり日常生活で触れ合わない音楽ジャンルでもあって、その音楽をはじめたきっかけが気になります。ミャンマーで伝統音楽を大学で学ぶ学生は、どんな経緯で民族音楽と出会うのでしょうか。またミャンマーでは初等教育で音楽教育が取り入れられつつありますが、現在大学生の世代は音楽教育を受けたことがない人がほとんどですよね。

私の場合は、幼い頃から先生について習っていたというケースですが、最近では、この大学に進学し音楽学部を選択する前に伝統楽器に触れた経験がある人は少ないです。そういう学生たちに、なぜ専攻で竪琴を選択したのかをたまに聞くと、「歴史があるから」「楽器の作りがかっこいいから」という答えが多いですね(笑)。ミャンマーでも伝統楽器は、音楽としてはつまらないし地味だというイメージを持たれることが多いのですが、歴史性や楽器そのものの形状に惹かれる子たちが始めるようです。ちなみに、竪琴の基礎は1年くらいで習得出来ます。

日本の伝統音楽を学ぶ学生も含む、音楽実技を専攻する学生の悩みは卒業後の進路だと思うのですが、ミャンマーで伝統音楽を大学で学ぶ子は卒業後、どのような進路を選ぶのでしょうか。

大学卒業後の生活は、ミャンマーでも大きな問題です。経済的なシステムも立ち上がったばかりの国ですから。また最近の傾向として、大学の卒業という制度に価値がなくなってきました。特に芸術大学の卒業に対する世間の評価は厳しいです。楽器が弾けるだけでミュージシャンになることがあるけど、卒業後には違う世界で他の仕事をする人も多い。この国でも音楽が演奏できるだけでは生活できる人は少ないですね。

音楽活動で生活する人はどのような場所や仕事を持つのでしょうか。

伝統音楽では、地域のお祭や儀式で必要とされる興行音楽家がいます。ミャンマーは伝統的なイベントが多い国です。具体的には、冠婚葬祭、僧侶への寄付のためのセレモニーですが、それらの中でもサインワインの演奏は欠かせません。例えば、ミャンマーはこれから雨季になりますが、次の雨季が来るまで、ずっとイベントが開かれています。有名なサインワインの奏者だったら、ずっと予定が埋まっているような状態です。サインワイン奏者は今でも根強く生き残っていますね。あとポップスも最近は盛り上がっています。

日常的に行われているミャンマーの宗教行事では伝統音楽のライヴが欠かせない。なかでもサインワインやミャンマーオーケストラの楽器は必須である。

コロナの状況についても聞かせてください。個人的な生活、大学の教育状況にどのような影響がありましたか。

大変ですよ。音楽家として仕事は、全てといっていい程、なにも出来なくなりました。厳格なロックダウン中は、22時から朝4時までは外出禁止、もちろん夜間に営業しているクラブやお店にはいけません。また5人以上の集会は禁止されていて、破った場合は規則で逮捕されることもあります。普段私は音楽家としてはコンサートと、さらには外国人向けの竪琴のレッスンで生計を立てていますが、基本的にすべてできない状態です。心情的にも相手のことを考え、自分から感染させてしまったらと思うと不安でできません。何より基本的に私の顧客は外国人ですし。私が経営している音楽学校も現在は休みにしています。大学は、一応オンラインで開校しています。校舎は使えないですが、教員の会議だけは継続させているという感じですかね。なので、ロックダウンになってから、毎日16時からFacebookで配信ライブを始めました。

スーさんが校長先生を務める音楽学校の様子。

たまに見ています(笑)。物凄い「いいね」の数ですよね。日本だと、あんなにFacebookでいいねがつくことはないので、ミャンマーのSNSの中でのFacebookの流行はすごいなあと思いました。

ロックダウンになった時、お金の問題や仕事など、様々な不安が社会全体に蔓延しているように感じました。竪琴を引いて心が休める時間を作りたいと思い、配信をはじめました。配信では、トークもあります。コロナに関する情報提供や教育が出来たらと思ったんです。ミャンマーの人たちは、周りをみていても、あまり怖がらないんですよ。コロナは怖いもの。今は何をすべきで、何をすべきではないかと伝えたかった。スマートフォンもまだ普及しはじめたばっかりだし、インターネットのルールも曖昧なまま。最近は大きな問題も起きています。ちなみに今日は竪琴の部位の説明をします。配信で演奏する曲は、ポップなものを選んでいます。私の両親の世代の伝統音楽で、ガラポーというもの。40~60代にはとても有名な曲なのですが、それを知らない今の若い人たちに、これらの曲を広めたいという想いもあります。

まだまだコロナで先が見えないところはありますが、スーさんのこれからの目的や展望はどのようなものですか。

音楽教育の勉強がしたいです。日本に行けるなら、大学でも学びたい。ミャンマーでは最近になって初等教育の見直しが進み、音楽や芸術教育が導入されるようになりました。教科書の作成やカリキュラムの作成が思考錯誤されています。こういった初等教育の改革は大学にも影響が出てきます。音楽教育を根付かせていくのであれば、音楽教育の方法を教える人が必要です。その人材をどのように育てていけるかが、とても重要な問題です。

 ミャンマーでは、家族や親族などそれぞれのコミュニティで音楽を継承していることが多いです。そういう点では伝統音楽を学ぶ場は生きています。そのため、一方では伝統音楽の基本的な歌い方や歌唱法の基礎はよく知られているので、なぜそれを教育に取り入れる必要があるのかという見方をされることもあります。音楽教育が抱えている問題はそこですよね。演奏法や楽器に関する知識が軽視されていることに加えて、その音楽の技術を通じて、何を学ぶのかという根元を考えていく必要があると考えています。私だけでは難しいかもしれませんが、そういった音楽教育の基盤を作っていくことが、今の一番の課題です。