CONVERSATION #4(清恵子)

20.08.13

清恵子さんはバンコクを拠点とし、ミャンマーの映像シーンに関わりながら多様な活動を続けている研究者です。東京芸術大学がミャンマー国立文化芸術大学で開催したアニメーションワークショップには欠かせないコーディネーターであり、上映プログラムとして参加したワッタン映画祭にも、その立ち上げから現在に至るまで関わり続けているなど、ミャンマーの映画・映像文化の場作りに尽力しています。また日頃はバンコクを拠点とし、タイにおけるアートやメディアアクティビズムの実践者に関する研究と執筆活動を続けています。

インタビュー:清恵子(キュレーター、メディアアクティビズム研究者)

聞き手:居原田遥(東京芸術大学特任助手)

今回は2つのことを伺いたいと思います。ひとつめは、清さんはこれまでワッタン映画祭をはじめとするミャンマーの映画・映像シーンに深く、そして長く関わってきたと思うのですが、現在に至るまでの経緯や、ミャンマーの映像文化についてどうお考えなのか伺いたいです。そしてふたつめは、昨年、芸大で行って頂いた講義につながる内容ですが、新型コロナウィルスの感染拡大下でのバンコクのアート、文化運動への影響と展開についてです。まずはミャンマーの話について伺いたいと思います。ミャンマーで活動を行われることになったきっかけと、当時の活動について改めて聞かせてください。

ミャンマーとは様々な繋がりを経て、2002年の「Collaboration, Networking and Resource-Sharing」プロジェクトに招待された機会に、実際に初めて現地を訪れました。これは現代美術を対象としたイベントで、このイベントについては、artscapeの記事に詳細を記しています。その後、当時住んでいた東欧に戻り、またすぐミャンマーに戻って映画を学ぶ場作りを始めました。

その映画を学ぶ場作りとして、具体的にはどのようなことをしていたのでしょうか。

とにかく地元の人達と映画を見まくる、話し合いまくる。そして「キノコ狩り」をする。

「キノコ狩り」ですか?

はい。私たちがそう呼んでいただけですが。当時のミャンマーでは、外国の映画を見られる機会が限られていたのですが、街には海賊版が出回っていました。そこで、海賊版についてのある種のワークショップのようなことを行うことにしました。海賊版をキノコに見立てて解釈するという方法です。まず、街を森に見立てます。森の中にはキノコがたくさん生えています。そのキノコは自分にとって有毒なきのこなのか、あるいは食べられるとすれば、自分にとってどんな栄養になるのか、などの判断が必要になります。つまり、キノコに対する知識がないと生きていけないわけです。この考え方を基本にして、映画について話し合いましょう、というような考え方の例えです。

なるほど。ユーモアあふれる名前ですね。

文化というものは、話し合わないと、完結も発展もしません。これは最も大事なことなのです。加えて、さまざまな背景や異なった文化の人達が参加すればするほど、その話し合いから生まれるものは豊かになります。その機会がないのは、とても深刻な問題です。そのため、映画のための場作りとして、具体的には話し合いの場を持つことに重点を置きました。話し合いには主にお茶屋さんを使いました。ミャンマーのお茶屋文化はご存知ですよね?ヨーロッパのカフェ文化のように、ミャンマーでは人々が会話し、あらゆることを話し合うために欠かせない場所です。キノコ狩りの狩場は2箇所ありました。ひとつめは中華街で、そこでは、ともかく名作とされるものからチープなものまでありとあらゆる映画がごっちゃになって売っていました。そこでは自分で「これは」というものを見つけるには、豊富な経験が必要です。ベテラン参加者向きの場所です。もうひとつは、47番街の「メモリー」ビデオショップです。ここはオーナーが意識的に名作を集めているので、すでに選択された映画がおかれています。そのため、キノコ狩りに慣れていない人には、そこが定番でした。このようなビデオ屋の営業は世界中どこでも大変なので、このメモリーもとても苦労されているようですが、頑張って残っていただきたいと思っています。

「メモリー」ビデオショップ

その後、同僚のFAMU(チェコ国立映画大学)に手伝ってもらうようになりました。ヤンゴンでFAMUの教員によるワークショップを開催したり、また、ワークショップに参加した優秀な学生をFAMUの留学生として送り出したりなど、FAMU、そしてチェコ政府は、とても充実した支援制度を組んでくれました。また、アンスティチュ・フランセにも、ワークショップの場所のために、協力してもらいました。チェコやFAMUをミャンマーに紹介するきっかけとして、ここでチェコアニメーションフェスティバルを開催したのです。当時のチェコ大使やFAMUの校長先生が来てくれました。

2004年くらいですよね。

そうです。その後、ワークショップへの参加をきっかけに、ミャンマーからチェコにわたる留学生が増えていきました。ここでいう留学は、FAMUへの長期的な留学と、ワークショップへの参加のための短期的な留学の2種類あります。ワッタン映画祭の二人や「The Monk」を作ったテー・モー・ナインは、長期の留学生です。この長期的な留学には、インターナショナル・プログラム留学と、チェコ語プログラム留学があり、チェコ語での留学は、チェコ語の学習から始まって、5年間滞在します。ちなみに「The Monk」はチェコTVのプロダクションによる作品で、チェコでは、プロダクションの方でも協力してくれています。短期で脚本ワークショップに参加していただいたアウン・ミンさんの新作も、チェコTVの共同製作作品となる予定です。

そのころのミャンマー映像作家たちを見ていて感じたのは、彼らの共有の精神の強さです。中央ヨーロッパをはじめ、欧米圏における映画のためのトレーニングは膨大な数の作品を見るために、留学は新しい情報に相当量触れる機会となります。当時のミャンマーから留学生した若者たちには、留学経験のなかで自分が受けた刺激や知識を国に絶対持ち帰って同胞たちに共有しなければならない、という使命感に溢れていました。オタク文化的という言い方が正しいかわかりませんが、日本の知識層には情報や知識を独り占めするような傾向があるようにも思うので、このような精神は、ミャンマーに習うことが大きいとも思います。この共有の精神を根本として、トゥトゥとタイディーらは、ワッタン映画祭を立ち上げたんです。とはいえ、当時はまだ軍政府下でした。若干の情勢の変化を感じていたものの、不安もありました。しかし、彼らの強い気持ちに応じて、私たちは全力で一からサポートしながら、手作りで映画祭が開催されました。それが2011年ですね。

アウン・ミンはヤンゴンを拠点とする医師であり、脚本家・映画監督。自らの医師の経験をドキュメンタリーにした初の監督作品『The Clinic』(2010: Ko Ju、The Maw Naingとの共同監督)をはじめ、脚本を手掛けた長編映画『The Monk』(2014: The Maw Naing監督)はミャンマー国内、国外の映画祭でも高い評価を受けている。現在もミャンマーで医療に従事しながら映画制作を続け、若い映像作家の育成にも努めている。

20年ともなるとひとまとまりの歴史を感じますね。最後に清さんが20年間ミャンマーの映画・映像シーンを見てきた中で、一番の変化はなんでしょうか。

劇場の公開、映画祭、インターネットなど、現在のミャンマーでは、外国の映画を見る機会が爆発的に増えました。そして、若者の映画コミュニティではインターネット上での言論空間の発達、特にFacebookの台頭が大きな変化だといえると思います。

ミャンマーのFacebookの波及効果はすごいですよね。以前も別のインタビューでも同じことを思いました。

もはや、新しい宗教のようなものになりつつありますね(笑)。映画コミュニティについていえば、情報交換や議論の頻度と速度が瞬く間に変わりました。ワッタン映画祭のメンバーが立ち上げた「Myanmar Filmmakers Network 」も意義深いアクションだと思います。このなかで、象徴的な出来事として「Anti Cheesy Myanmar Film」というアクションがありました。「Cheesy」とは「安っぽい」、「馬鹿げた」、「必死になっているように見えるもの」を意味します。豊富な映像に触れた若い世代が、その前世代のミャンマーのコメディやメロドラマを主体とする娯楽映画を「Anti Cheesy Myanmar Film」と称し批判するというキャンペーンが起きたのです。また、この批判は作品そのものに向けられただけではなく、そういった作品ばかりを作り続けてきた世代に対する批判でもあります。そして「なぜ検閲に立ち向かわなかったのか」という政府や検閲制度に対する批判も含まれています。その後、批判された世代からは当時の検閲の厳しさを訴える反論が起こり、それはもう結構な論争にまで発展しました。例えば、若い世代の主張に「イラン映画を見ろ」という意見が見られました。「イラン映画を見てみろ。イランには政治的な検閲だけでなく宗教的な検閲も厳しいにもかかわらず、低予算ながらもヒューマニティ溢れる内容で、国際的に認められる作品を輩出している」といった主張です。つまり、若い世代はイラン映画を知っているわけですよ。この一連の「Anti Cheesy Myanmar Film」のアクションと議論の展開は、社会的にも大きな注目を集めました。国営のテレビ局に取り上げられ、世代の違う映画作家の対談が番組になったほどです。

Myanmar Filmmakers Networkのフェイスブックグループ。1万人を超える登録者がいる。

確かにミャンマーのネット論争は、その規模も含めて、凄まじい勢いがありますよね。もちろん日本でも、「炎上」的なもの、SNS上での映像や映画をめぐるネット上の議論などはあるのですが、それと比較しても、ミャンマーのそのキャンペーン的な論争への発展と、そのスピード感には、度々驚かされます。

いま、これらの世代間論争を堂々と出来ること、あるいは過去の様々な話も笑い話にして話せることも、私がミャンマーを訪れはじめた頃に比べると、大きく状況が変化していると感じます。

日本でもようやく映画やテレビのスターが政治的な発言をするようになり、話題となっていますが、たとえば「#BlackLivesMatter(黒人の命は大切だ。)」のキャンペーンには敏感に反応し、公的にサポートを表明するスターはいるけれど、自国における差別問題にはなぜ反応しないのか、といった議論が見られます。「BLMへの賛同は欺瞞だ」というわけです。最近、カンボジアで行方不明になったタイの活動家についても、ユニセフの難民救済キャンペーンの顔として、タイから初めて選ばれたモデル兼女優の方が、世界中の難民を救おうとするキャンペーンには積極的に取り組んでいるのに、自国の難民・亡命者の問題には発言がないことについて、批判も起きていました。日本もタイも「スターの政治的な発言」のいわば黎明期というところですので、今後、スターたちはトライアル&エラーを繰り返しながら、このような発言をめぐる成長を遂げていくのではないかと思います。

一連のネットの動きに関して、私が最も興味深いと感じたのは、コロナ前後に起きた「#milkteaAlliance(ミルクティー同盟) 」というムーブメントです。中国と、タイをはじめとするアジア諸国のネット論争です。この論争におけるタイ側の人々の発言と反応を見ていると、その言語感覚、言葉の機転と応用が際立ちます。不敬罪をはじめタイでは直接的に言葉にできない話題が多い。そのため、コードや抽象化された表象、ニュアンスやユーモアでの会話と、そのためのしなやかな言語感覚を身につけているのだと思います。ミームも、抜群に上手い。インターネットとの相性が良いのでしょうね。またこのミルクティー同盟のムーブメントで興味深いのは多言語空間で展開したという点です。もちろん、日本でもSNS上やオンラインでの言論展開は健在で、2chにはじまりそこからアノニマスへの展開などもありますが、国内に限られているという印象を受けますね。コロナの影響というところでは、一部のメディアによっては(この話題はマスコミにも取り上げられた)コロナウイルスに端を発する嫌中の動きと見るところもありますし、議論の中でコウモリを食べる、食べない等の発言も見られました。私自身は、ネット論争が生まれたこと自体はコロナとは、直接的には関係がないと思います。ただ、この盛り上がりに関しては、コロナに助けられた、というところでしょうか。

コロナ後の展開はどうなると予想されますか。

アメリカでは現在、K-POPファン達によるネット政治参加が大きな話題になっています。BLMデモの最中に警察が市民にデモ参加者の違反行為を撮影したビデオを送るよう呼び掛けたサイトをダウンさせたり、トランプ大統領のラリーに大量のネット予約をして空席を目立たせるなど、アクティビズムとして活躍しています。これには、K-POPファンのネット使い慣れという、ネット・スキルに関わる背景があります。自分たちの「推し」アーティストのチャート上げに使っていたスキルを、人権問題にも「貸し出し」という動きです。こうした動きの若い世代への影響力は甚大です。この流れのなかで、BTSというアイドルすらも、政治的な発言をしました。タイやミャンマーをはじめ、東南アジアでもK-POPは絶大な人気がありますから、アメリカのファン達に刺激されたタイのネッティズン達が奮い立つかもしれません。中国のオフィサー達をネットバトルで見事打ち負かしたタイのネッティズン達のスキルにも相当なものがありますから。今後、例えばタイのネッティズン達がどこかにそのスキルの「貸し出し」たり、助っ人として加わったりするようになるかもしれません。そうすることでタイの国内問題だけでなく、国際問題にも積極的に関与していくようになるかもしれません。ミルクティー同盟はそのきっかけとなるような気がします。

「Milk Tea Alliance」は、ネット上で展開している中国対タイ、香港、台湾その他数カ国連合のバトルのハッシュタグ。タイの”やおい”系スターとそのガールフレンドによる香港に対する発言が中国側により曲解され、このスターの出演番組が中国で放送中止になったことに端を発し、タイと香港と台湾のネッティズンたちが「ミルクティー同盟」を結束、主に中国の反中対策官(?)たちを相手にネットバトルを展開した。このなかで「メコンの危機」とも報じられた、ラオスやタイの数カ所で起きたメコン川の水位低下が、中国によるダム水位の調節によるものだという批判運動や、中国が香港に課した香港国家安全法を巡る一連の抗議運動が展開された。また、中国と海域問題を持つフィリピンのネッティズンなども時折エールを送っていた。台湾では一部の政治家がこの同盟に賛同し、台湾製バブルティーを飲んでみせるなどのパフォーマンス的な行為を行った。最近では国境で中国と緊張のあったインドも晴れて(?)このミルクティー同盟に加わり、「チャイは最高に美味しい!」などと祝福を受けている。

それから、いわばコロナが生んだ展開の事例をあげると、コロナ禍で仕事を失い困っている人が急増するなか、そういう人たちを何とか助けたい、ということで、とあるネットの呼び掛けにより、無人の棚が街中の至るところに設置され、そこに誰でも他人が必要そうな物を置いていき、必要な人がそれらを持っていける、というアクションがおきました。これはタイでは、いわば新種の寄付の形です。これまでのタイの寄付は、上流階級によるチャリティが一般的でした。これだと階級制度を維持するためのメカニズムという側面が強いのですが、この形式であれば、階級という上下構造に関わらず、困っている人を助けることができます。これはネット世代による「共有」の感覚ですね。与える物を情報と置き換えるなら、それまでのチャリティ形式は上から下へと、縦に告げられるお触れやプロパガンダであり、下の者はそれを黙って受け取るだけだったのですが、無人棚形式は横に自由に情報を共有しあう、いわばインターネットです。こうしてタイではネット世代の感覚が少しずつ現状を変えています。コロナ禍で誰よりも強さを発揮したのは、普段から自宅で活動することの多いネッティズン達でしたから、コロナ禍がこれからもしばらく続くのは大変なことではありますが、いわゆる「リヤル」な変化が見られるのは楽しみです。

タイの国中に設置された無人棚。誰でも物を置くことができるし、誰でも置かれた物を持ち帰ることができる。