CONVERSATION #3(Souliya Phoumivong)
20.08.11
インタビュー
Souliya Phoumivong(ラオス国立美術学校講師/アニメーションアーティスト)
聞き手:居原田遥(東京芸術大学グローバルサポートセンター特任助手)
お久しぶりです。なんだか髪が短くなりましたね。
実は2週間ほど前から出家して、僧侶になり、お寺にいたんです。母が体調を崩して昏睡状態になったので、その回復祈願のために出家しました。出家して4〜5日後には、なにが起こったのかわかりませんが、母の容体は回復しました。だから、今は髪が短いんです。
そうだったんですか!私は仏教の制度にはあまり詳しくないので、出家と聞いてちょっとびっくりしました。お祈りのための出家ということがあるんですね。お寺では何をするのでしょうか。
はい。お祈りのためなので、7日間だけの出家です。お寺にいる間はいろんなことをします。今回は、大きなブッダの後ろの壁に、聖木の絵を描いていました。その様子をフェイスブックにポストしたら、なんとお寺に対して寄付金が集まったので、絵を描き終えたあとは、お坊さんたちとお寺の庭に花を植えたり、ガーデニングをしました。あと、お寺を訪れた人々がリラックス出来るための小さな小屋を建てました。色んなことをしていましたね。そのため、お寺を去る時には、ご近所さんから、「もっとここに残ってほしい」と言われました(笑)。
それは面白いエピソードですね(笑)。スーリヤさんはアニメーション作家として活動しながら、大学でも教えていると思いますが、アニメーションをはじめたきっかけと経緯を教えてください。
はい。私はアーティストで、多くの人たちから「ラオスのメディアアーティスト」と呼ばれています。主に粘土でストップモーションアニメーションの作品を作っていますが、写真も撮るし絵も描きます。ただ、最近は絵を描くことはなくなって、この8年ほどはストップモーションアニメーションを続けています。また、「クレイ・ハウス・スタジオ」の設立者でもあり、NIFAではビジュアルコミュニケーションアンドデザインという専攻で講師として、メディアや写真、映像やアニメーションを教えています。
ストップモーションアニメーションをはじめたのは、2010年です。JENESYS Programの奨学制度に参加する機会があって、ラオスのアーティストとして、東京にある遊工房アート・スペースに2ヶ月半ほど滞在しました。当時、私には映像やストップモーションについての知識や経験はまったくありませんでした。元々は画家としてNIFAでも絵画を専攻していたからです。ただ、東京に行くことになって、そこでは、今まで知らなかった新しいことを学ぶ機会にしたいと考えたことと、また、日本の面白いアニメーションについては知っていたので、遊工房のオーナーに、どうすればアニメーターなれるのかと相談しました。また、奨学金を得た際の日本に行くための目的を、絵画の勉強をするためではなく、新しいメディアやアートに触れることにしていたので、滞在していた2ヶ月の間に、アニメーション・スクールやいろいろな美術館を訪れました。杉並アニメーションミュージアムで、いろいろな技術を教えてもらったことは、とても思い出深いです。そして東京に滞在している間に、はじめてのストップモーションアニメーション作品である「BIG WORLD」を制作しました。 「BIG WORLD」は、ラオスの少年と水牛が、彼らがいままで経験したことがない大都市の東京で、どのように日本人と触れ合い、そして世界をどう見ていくのかという物語です。物語のなかで、彼らはたくさんの場所に行き、いろいろな人々に出会います。当時、わたしが日本に来た際に感じたのは、ラオスのことがほとんど知られていないということでした。ラオスを、タイの一部か、ベトナムの一部くらいとしか思っていないという印象でした。
ラオスに戻ったとき、ここでなにもしなければ、東京での経験を忘れてしまうと考えました。そのためNIFAの学長に、大学にメディア・クラブを作りたいと相談し、わたしのワークショップへの参加を呼びかけたのです。すると驚くことに、大学の7割にもなる学生と教員が参加を希望してくれました。なぜなら、彼らにとっても、とても新しい経験だったからでしょう。ただ問題があって、パソコンが必要だったのですが、たった1台の私物のパソコンしかなかったのです。ワークショップをはじめると、学ぶために十分な機材がないことを理由に、参加者は次々に辞めていきました。最終的に残った学生は、たったの7人です。しかし、彼らは今、プロフェッショナルな技術を持ち、会社などでメディア関連の仕事についています。
このワークショップの成果もあって、2012年にはNIFAにメディアを学ぶ専攻が出来ました。ただ、またもや問題がありました。メディアの技術を教えることができる教員がいなかったんです。先ほど言ったように、わたしは元々絵画専攻だったし、この専攻の設立時は、映像やアニメーションの授業がありませんでした。グラフィックデザインからはじめて、学生はたった2名でした。そして、わたしたちもなにも教えることができなかった。なぜなら機材もなければ、わたしたちもデザインの専門家ではないからです。地元の企業にいろいろと協力を打診しました。2015年ごろまでは、そういう試行錯誤を繰り返していたのです。
2015年には、NIFAが大きな校舎に移動することになります。東京芸大のみなさんも来たことがありますね。そのため、たくさんの空き部屋が手に入りました。それをきっかけに、専攻のなかに、映像やアニメーションのための授業を開講することになりました。しかし、最初の年の学生は、またもや2名でした。そして、そのうちの1人はその前からこの専攻に在籍していた学生でした。その後、新入生は、2年目は6人、3年目は12人、4年目は28人、そして今年にあたる2019年には27人とどんどん増えていきました。いまでは合計で50人以上の学生がいます。そして、数台だけですがコンピューターもあります。海外から講師を呼んで授業をする機会も増えました。現在の専攻はとても良い状況だと思っています。学生数もちょうど良い。わたしたちが学生のために使えるお金はとても少なく、USドルにすると年間で200ドル程度です。もちろん、これでは十分な機材を揃えることはできません。そのため学生たちは自分で機材を揃える必要があります。ただそれは彼らのためにもなります。
授業ではどのようなことを教えているのでしょうか?
わたしたちの専攻では2つの科目があります。ひとつはデザイン、そしてもう一つは映像とアニメーションです。私は映像とアニメーションを担当しています。授業では撮影技法、アイデアの出し方、物語の作り方、ストーリーボードの書き方などを教えます。そして、学生はそれぞれ作品も作ります。まだ機材や環境が充実しているとは言えない状況なので、高価な機材に頼らない制作方法を考えます。スマートフォンや中古のカメラなど、使えるものはなんでも使います。幸運なことに、地元の映像制作会社が、学生の制作のための機材を提供してくれることもありました。例えば今年もビエンチャンの会社がカメラや撮影機材を提供してくれました。会社も彼らを助ける新しいスタッフを求めていて、NIFAは若い学生がメディアを学べるラオスではたった一つの学校ですから。
スーリヤさんはクレイ・ハウス・スタジオの設立者だとも言っていましたが、クレイ・ハウス・スタジオの活動について教えてください
はい。大学で教える傍ら、「クレイ・ハウス・スタジオ」を作りました。自分の作品のためのスタジオです。東京から戻ってきた直後、幸運にも作品制作の依頼を得ることができました。テレビ番組の仕事です。そのための制作環境が必要になり、クレイ・ハウス・スタジオを作りました。ここでは主にストップモーションを作っていて、作品のためのパペットも制作しています。ごく一般的なストップモーションアニメのためのスタジオです。ただ、このスタジオは、すべてわたしの手作りなんです。もちろん当時はスタジオを作った経験もないし、機材も、作品に必要な粘土もなにが良いのかわかりませんでした。クレイ・ハウス・スタジオはわたしの自宅のなかにあります。
2012年から現在まで、イギリスの団体から依頼を受けて、2つのTVシリーズを作っています。子供向けの番組シリーズです。「Learn Together」という教育番組で、2016年からはじめて、ちょうどCOVID-19の直前に終わりました。
また、子供向け番組を作りながら、アート作品というか、個人の作品も作っています。2018年から2019年までは、わたしの個人的なアイデアをベースにしたストップモーションアートの作品を発表しました。東京で作った水牛の話のようなものですね。現在は、今年の終わり頃に予定されているバンコクビエンナーレのための作品を制作しています。
将来的には、ここをアート スペースにしようと考えています。クレイアニメーションに用いるパペットや、ここにあるいろいろなものを見せる展覧会を行いたいと思っています。小さなギャラリーというか、小さな美術館のような場所にしようと。
それはとても良い計画ですね。また、スーリヤさんのフェイスブックでは、最近、学生たちと一緒に、メロンの写真を頻繁にアップロードしていますよね。クレイ・ハウス・スタジオの活動はアニメーションだけではないようなのですが、あのメロンは一体なんでしょうか?
ああ、それはCOVID-19の影響です。どこの世界も似たような状況だとは思いますが、今年の2月の終わり頃、ラオス政府は国を閉鎖し、あらゆる制限をかけました。人々の生活は困窮します。わたしも仕事がありませんでした。ステイホームを強いられ、だれも自分の家のドアをあけることができなくなりました。わたしもどこにも行けないし、家の中で家族と共に過ごすことしか出来ませんでした。そこで思いついたのがメロンの栽培です。COVID-19の間にやってみようと思いついたのです。いまでは家の裏にはメロン農場があります。先ほどクレイ・ハウス・スタジオをアート・スペースにするつもりだと話しましたが、わたしはここにアートと農業を融合させたスペースを作ろうと考えています。そして、このアイデアを「Art-griculture」と呼ぼうと考えています。
それは面白いですね。アートと農業(アグリカルチャー)を合わせるという意味ですね。
わたしはアーティストです。そしてここで私はアート作品も作りながら、無農薬の野菜や植物、そしてメロンを作っています。アートと農作物の両方をこの場所で作っているということです。もし、人々が、ここにアートのためのワークショップを求めてきたら、私はアートのためのワークショップを開催します。そしてもし人々が農業のためのワークショップを求めてきたら、農業のためのワークショップも行うことができるのです。どのようにメロンを育てたら良いのかなど。なぜメロンを選んだのかは、わからないのですが、ラオスではメロンは生産されておらず、外国の輸入品で、高価なイメージを持っています。育ててみてわかったのは、メロンが高価な理由は簡単には栽培できないからでしたね。あとメロンは育てる過程で皮に絵を描くことができます。私がそれをフェイスブックにポストすると、多くの人が面白がり、「わたしもそのメロンの作り方を見たい」「農場を見せてほしい」などと言われました。とても楽しいですよ。
COVID-19の状況について、具体的な影響などをもう少し教えてもらえますか。
どこの世界でも同じことが起きていると思いますが、COVID-19の影響で、すべてが変化しました。その状態は「ニューノーマル」と呼ばれていますが、わたしたちは、これまで通り、ノーマルでありながら、なにか新しいことをはじめなくてはいけないのです。ラオスは、あらゆるものの国内生産が十分ではないため、輸入に頼っています。ですから今回のこの状況の経済打撃は大きな問題です。
大学も影響を受けました。閉鎖していたのは3月中旬から5月初旬です。そして、大学が再開したとき、これは芸術大学だけの問題かもしれませんが、多くの学生がとても怠け者になっていました(笑)。大学が閉まっていたときには、オンラインの授業にも挑戦したのですが、あまりうまくいかなかったので、久しぶりに大学が開いた時、学生たちは長い間家にいて、勉強に対してとても怠け者になってしまったのです。現在はそのときから1ヶ月ほど経ちますが、とてもスローペースです。
ただ、幸いラオスではCOVID-19による死者はいませんし、感染者も少ないです。そのため、政府の迅速な対応は正しかったと思います。現在は国内であれば自由に移動出来ますし、ニューノーマルスタイルにさえ気をつければ、生活はほとんど元どおりです。
ただ、国を開けて他の国々からの移動がはじまれば、ここは内陸国なので、海外からの影響が懸念されています。また教育に関しても、国外の大学や機関との関係をどのように継続していくかは大きな問題ですね。日本も、オーストラリアや中国も、あらゆる国との交流やプロジェクトは止まっています。そのためいまは、国内の、自分たちの足でまずは立ち続けなくてはいけない。やがて隣接している国々への行き来ややりとりが、はじまると思います。
結果的にCOVID-19のさなかでのプロジェクトになってしまいましたが、国際交流基金と「デジコン ラオス」というプロジェクトを始めています。日本のテレビ局のTBSが主催する事業です。これはラオスではじめての試みで、そして学生や若いアニメーターが参加します。日本でも見ることができるものになりますよ。移動ができない世界でもこのような取り組みを続けていかなくてはいけないですね。