CONVERSATION #2(Thai Dhi & Thu Thu Shein)

20.07.06

「ワッタン映画祭 Wathan film Festival」は、ミャンマーの活気溢れるインディペンデント映画のシーンを支えている存在です。「ワッタン」はビルマ語で「雨」を意味します。その名の通り、2011年から毎年雨季に開催され、今年(2020年)で10周年を迎えます。国内の作家が参加するコンペティションや近隣の東南アジアと共同するプログラムなど多彩な企画は、数多くの作家と作品が行き交う交流の場になっています。映画祭を運営するタイディー氏とトゥトゥシェン氏の2人に、映画祭の成り立ちやミャンマーのインディペンデント映画のシーンをめぐる考えについてお話を伺いました。

インタビュー: 
Thaid Dhi(映画監督、ワッタン映画祭プログラムディレクター)
Thu Thu Shein(映画監督、ワッタン映画祭フェスティバルディレクター)
聞き手:居原田遥(東京芸術大学グローバルサポートセンター特任助手)

ワッタン映画祭のメイン会場はワジヤシネマ(Waziya Cinema)。ビルマ映画の黎明期である約100年前に建てられ、ミャンマーに現存する最古の映画館とされている。

ワッタン映画祭は今年(2020年)で10周年を迎えますね。まずは2人がワッタン映画祭をはじめたきっかけと、現在に至るまでのプロセスを聞かせてください。

Thaid Dhi(以降TD):私たちが「映画祭をはじめる」という考えを持ったのは、当時のミャンマーには映画を上映する場がなかったからでした。そのころ、私たちの多くはショート・フィルムやドキュメンタリーの制作をはじめていたのですが、その映画を上映するための場所とプラットフォームがなかった。それでも友人同士や小さなコミュニティに向けて映画を上映することはできましたが、パブリックに向けて映画を見せることは出来ませんでした。そのための場を作りたいというアイデアがきっかけです。チェコに留学していたのですが、その時ヨーロッパをはじめ、たくさんの国際映画祭に足を運びました。その経験もインスピレーションを与えてくれたと思います。メインストリームではないショート・フィルムやドキュメンタリーなどのインディペンデント映画のシーンを発展させるには、人が出会い、アイデアを共有することができるプラットフォームが必要です。そして、ワッタン映画祭を始めました。

Thu Thu Shein(以降TT): 最初は私たちに加えて映画監督とアーティストである5、6人の友人たちと議論しながら、映画祭を始めました。

現在との違いはどのようなものですか。当時はどんな様子だったのでしょうか。

TD: 初期の頃はとても予算も少なかったです。5日間の映画祭のための予算で、大体5000USDくらいだったかな。

 そのころ、苦労したことが2つありました。ひとつめは検閲です。それまで私たちは検閲されたことがなかったこと、なによりミャンマーには映画祭のための検閲の許可や制度自体が存在しなかった。ふたつめは会場です。私たちは商業用の映画館を借りることができませんでした。ですが、とても良い修道院を見つけたのです。仏教用の寺院ですね。そこは普段は結婚式や宗教行事(セレモニー)に使われている場所で、とてもファッショナブルなホールでした。僧侶の講習会のための400人を収容できる講堂があって、結婚式の披露宴会場としても使われていました。利用料もとても安く、僧侶に寄付するということで良かった。私たちはこの僧侶のための講堂を映画祭の会場に変え、映画祭を開催しました。もちろん映画祭には僧侶も参加してくれて、とても良かった。初回と2回目は5日間の会期で、500人程の観客が参加してくれました。1回の上映につき100名程度です。僧侶も含めてね(笑)。現在の映画祭の参加者は4000人を超えています。

楽しそうですね。当時の検閲の問題について社会的な状況を含めて詳しく教えてください。

TT:当時のミャンマーには映画祭のために制度化された規制がありませんでした。なぜならそれまで映画祭がなかったからです。それでも私たちはなんらかの「許可」を得ないと問題になると考え、映画の規制を管轄する情報省にアプローチを取りました。

TD: 検閲に関する苦労には当時の政治的な状況の変化がポイントになると思います。2010年には総選挙が行われ、その後の政治社会は民主的というか、政府はかつてないほど「市民的な政府」でした。軍政とは異なるユニフォームを着た、民主的な政府だった。私たちの活動に対しても圧力をかけてくるようなことはありませんでした。1年目と2年目は、そんな状況で良かったんです。

TT: その時、政府に許可を願い出る時に、私たちは映画祭を開催する許可を「申請」したわけではなく、開催を「アナウンス」しただけでした。映画祭の開催前には、この許可への返答が間に合わなかったのです。結局そのまま映画祭を開催し、やっと最終日に政府から公式の返答をもらいました。そのレターには、ただ「同意」と書いてありました(笑)。

TD: レターヘッドのついた無地の紙に、たった一行だけ「We Are Agree(同意)」とだけ(笑)。

TT: 映画祭には私服警官も来ていました。それは映画祭の最終日で、クロージングの前のジュリーミーティング(コンペの審査のための審査員会議)の時に、警察が「運営者に会わせて欲しい」と言って、やってきました。しかし会議の途中だったので、会議後まで外で待っていてもらった。その時に先ほどのレターをその警官が持参してきました。すべてが最後の最後まで、わからない状況でした。

なかなか大変でしたね。その頃と比べて、検閲をめぐる状況には変化がありますか。

TD:  2012年以降はさらに厳しくなりました。総選挙があった2015年以降は、もっと厳しく複雑な状況です。いわば「新政府」によるものですね。元々ミャンマーでは政治的な題材や軍政を扱った映画は少なかったのですが、私たちが映画祭を始めた2011年あたりから、政治や軍政を扱うドキュメンタリー映画が数多く作られ、盛り上がりを見せていました。ヒューマン・ライツ・フィルムフェスティバル( Human Rights Human Dignity International Film Festival (HRHDIFF))でも、ドキュメンタリー作品を多く取り扱っていますし、多くの人々がそれらの作品を支持していました。しかし、2015年以降、多くのドキュメンタリー作家は新政府を批判しなくなったのです。これには2つの理由があって、ひとつめは新しい政府に対する自己検閲が働いていること。もしも現在の政府批判をすると、誰からも支持してもらえなくなる。現在の作家にはそういう意識があると思います。彼らはとても静かです。アウンサンスーチーを支持するためには現在の政府を批判したくはない、そういった自己検閲の気持ちを感じます。またもう一つは、政治状況も同じく変化していて、以前に比べて複雑な状況であるということ。軍政かアウンサンスーチーのどちらが良いか悪いか、というように以前はとても明確でした。しかし、今はもう少し複雑な状況で、白黒はっきり示せないのです。ドキュメンタリー・シーンはそのような状況を反映していると思います。そのため、多くの作家がフィクションを撮るようになりました。フィクションを通じた、より複雑な表現に移行しています。先ほど私が話した現在の複雑な政治状況を反映するようなものです。

なるほど。もう一つ、10年前と現在の変化について聞きたいことがあります。さきほどワッタン映画祭が立ち上げの理由について「映画を見せる場所や映画祭がなかった」とおっしゃっていましたが、現在のヤンゴンには、いくつもの映画祭がありますよね。むしろ増えてきているように思います。この状況の変化、ヤンゴンにおける映画祭の興隆と、その中でのワッタン映画祭の位置づけをどのように考えているのか、教えてください。

TT: 私たちの映画祭は、映画祭の運営だけでなく、小規模な上映会、ワークショップなど、いくつもの活動があります。映画祭の開催自体を目的としているというより、コミュニティ作りに重きをおいていることが特徴だと思います。

TD:ワッタン映画祭はインディペンデント映画のシーンの発展を目的としているので、映画祭では特定のトピックやテーマを設定していません。そのため観客もとても明確です。また、ワッタン映画祭では3辺のトライアングルを基盤のアイデアとして設定しています。具体的には、観客を作ること、上映のためのプラットフォームであること、そして作家のためのトレーニングを行うこと。この3辺によってインディペンデント映画のシーンを発展させていきたいと考えています。

映画祭以外の活動の例えばワークショップはどのような内容なのでしょうか。

TD: たくさんあります。さまざまなパートナーとも共同しています。メインパートナーの一つは、チェコのFAMU(プラハ芸術アカデミー)です。彼らとは長期的なプログラムを行なっていて、12名の参加者に、毎日9時から17時までレクチャーやワークショップを行うスクールプログラムを開催しています。このプログラムでは、前半はドキュメンタリーの制作、後半はショート・フィルムの制作を行い、3ヶ月を通じて、基礎的な映像制作を学ぶものです。これはチェコ政府の支援を受けていて、これまでに2回行いました。もうひとつのパートナーである国際交流基金とも、アニメーションのワークショップを開催しています。3名程度のアニメーターや専門家を招いて、ワークショップを行っています。ここ数年は毎年開催しています。

どのような人が参加していますか。若い人が多いのでしょうか。

TT: そうですね。若い人が多いです。

若い世代にとってミャンマーの映像制作の教育の実情について、教えてください。

TT:  以前は、映画制作を継続的に学ぶ場がミャンマーにはなく、ヤンゴンフィルムスクールや、FAMUなど、国外の団体のワークショップに限られていました。2007年にはミャンマー国立文化芸術大学にシネマ専攻が開設され、私を含む人々は、大学で学ぶことを期待しました。しかし、その当時は大学の環境は不十分でした。今はとても発展したとは思います。そのため、大学以外のワークショップやトレーニングスクールの場が重要だと思います。

大学以外でも学べる環境があり、若い世代がそれらを横断的に活用していくことは、どの国でも変わらないですね。先ほどの話で興味深いと感じたのですが、ミャンマーの社会的・政治的情勢の変化に合わせ、作家がドキュメンタリーからフィクションの制作に移行していったという話です。この他にも、若い世代をはじめ、ミャンマーの映像シーンで新しい傾向はありますか。

TD: ワッタン映画祭のなかでも、新しく若い世代の作家が登場し続けています。例えば、映画祭でも受賞作品に選ばれた「Sick」のZaw Bo Boは面白い。この作品はシンガポールの映画祭でも同様に賞を受賞しました。さらに昨年だと、Myo Thar KhinというNUACの学生で、まだ19歳〜20歳の作家も登場してきています。彼らのストーリーテリングは斬新です。若い世代は、あまり軍政や政治を扱うことに関心を示しません。スマートフォンや新しいメディアを駆使し、きっとこれまでの私たちの世代の映画をつまらないと感じているとも思います。また、彼らは政治よりもLGBTQやジェンダーなどの出来事に焦点を当てたり、それらに対してはとてもオープンだとも思います。若い世代のことは正直わからないこともあるのですが、彼らから、新しい声を聞けることはとても面白いです。

ワッタン映画祭の特徴の一つは、他国の映画祭とのネットワークや、国際的な取り組みだと思います。ミャンマー以外の東南アジアの映画祭や、台湾の作家とのつながりによるプログラムもありますよね。このような国際的な取り組みについてどのような意図や考えを持っているのか聞かせてください

TD: 国外とのネットワークを作ることには、2つの意図があります。ひとつは、質の高い国外の作品、特にドキュメンタリーやショート・フィルムを見たいということ。国内のミャンマーの作家に外国の作品を見せたいと考えているからです。もうひとつは、近隣の東南アジアで起きていることを知りたいと考えていることです。欧米諸国とはそれなりに歴史や技術に違いもあるので、マレーシアやタイ、ラオスやカンボジアなど近隣のアジア諸国に目を向けたいです。それらの国の良い作品を目にした時に、なぜ彼らには出来て私たちにはできないのだろうと感じさせてくれます。東南アジアは政治的状況がとても似ているし、同じ困難を抱えていますから。

具体的に近隣諸国で注目している活動や映画祭はありますか。

TD: 注目している映画祭というわけではないのですが、ワッタン映画祭では、「S-Express」というプログラムを行なっています。これは、東南アジア各国からそれぞれプログラマーをたてて、参加している各国の映画祭で上映するという横断的で面白いプログラムです。私たちに加え、シンガポール国際映画祭など、映画祭同士の交流にもなり、とても意欲的な企画だと考えています。何より、ショート・フィルムはお金を作ることが難しいジャンルです。さらに、インディペンデント映画を扱う映画祭もそうです。近隣諸国の映画祭とは、このショート・フィルムを扱う映画祭が抱える困難を、共有していると思っています。

ここからは少しコロナの影響について質問したいと思います。まずはざっくりと、2人の生活にはどのような影響がありましたか?

TT:個人的には、この時期(2020年6〜7月)は、それまで関わっている映画祭で忙しくしている時期と、秋頃に開催するワッタン映画祭の準備で忙しくなる間の時期なので、特に仕事上の影響を受けたわけではないですが、今後の展望はまっさら、10月に予定している映画祭の開催が可能かどうか、現段階ではまだ判断できていません。

TD: 現在(2020年5月)は、もう厳格なロックダウンではなくなりましたが、マスクの着用の義務と、5人以上の集会は禁止されています。街中の店は、ちらほら営業を再開している様子ですけど。ワッタン映画祭では、上映会の代わりに、この10年間の映画祭で上映した作品をゆっくりと公式のYou Tubeチャンネルにアップロードしています。あと、ステイホームかつリモートで出来るアニメーションのワークショップをFacebook上で開催しました。11人の参加者がそれぞれショート・フィルムを作成し、それらをつなぎわせて作品を作るものです。試行錯誤しながらオンラインでの活動を止めないようにしています。忙しくし続けることで、コロナのストレスに負けないように(笑)。

インディペンデント映画のシーンや映像・映画業界にはどのような影響がありましたか。

TD:まだ何が起きているのか把握できていませんが、おそらく映画産業は苦しんでいると思います。政府は公式に全ての映画館を閉鎖しました。また5人以上の集会の禁止とともに、映画制作は実質不可能で、ほぼすべて停止している状態です。ただインディペンデント映画のシーンに比べると、映画産業は資金的には余裕があると思います。映画館よりも、制作に関わる現場のカメラマンや編集者などクルーは深刻な状況だと思います。フリーランスの人々も同じく。

TT: みんな同じ状況ですね。ちょっとだけ良い話だったのは、プロダクションへの寄付活動が起きていたことです。もちろんそれだけでは生き抜いてはいけませんが、映画や映像制作の中でも助け合いのような出来事が起きています。

TD: 現段階では、これからのことを想像するのは難しいですね。2週間前までは人々はとても用心深い様子だったのに、今では働くために外に出ている。ミャンマーの貧困層は、その日働かなければその日食べていくこともできないので。一部の人たちは、あまりコロナのことを気にしていないようにも思います。

TT: バンコクのショッピングモールも、再開したら人であふれているみたいだしね。

それでは最後の質問です。10周年を迎えたワッタン映画祭ですが、新しい展開や今後の展望について、何を考えていますか。

TT : 今後、ワッタン映画祭では、若い世代も含めて新しいチームを作っていきたいと考えています。また今年は例年通りのプログラムに加えて、ミャンマー映画100周年という記念年なので、そのためのプログラムも考えているところです。

TD:コロナのためにどうしたら良いのか誰もわかりませんが(笑)、ひとまずこの10年を振り返るようなさまざまな企画を準備したいと考えています。あと展覧会も開催したいです。繰り返しになりますが、出来るかどうかわからないけれど。

TT : 例年であれば、この時期、作家は映画祭のための作品制作をしています。しかし今年はこの状況なので、誰もが作品を作るこことができていません。いったいどのような作品を上映できることになるのか、一番不安ですね。